説話(真空)

昔、ラジオには真空管というものが使われていました。また、電気で動く掃除機、つまりクリーナーのことを真空掃除機といっていたことがありました。これは、英語のバキュームの訳語が真空となっているためです。
この「真空」という言葉は仏教用語が起源ですが、その意味を正確に伝えることは大変難しいことです。概略、人間の自己の中には実体としての自我というものはありません。また、存在するものはすべて因縁によって生じたのだから、実態としての自我はないという説があります。この考えを「空」といいます。つまり、ものごとの真相は、ああだこうだと決めつけられない。決めつけられるようなものを本性としてもっていないということです。このことを悟ることができれば、ものごとに執著(しゅうじゃく:執着)することがなくなるのです。しかし、空を悟ったからといって、空だ空だと騒いでいるようでは、空に執著していることになるので、その執著をも捨てなければならない。このように徹底的に突き詰めていくと、ついに、何事にも執著しなくなったその時の状態が真の空、つまり真空というわけです。
ここまでくると結局、物事はあるがまま、そのとおりというふうに見えてくるのです。しかし、人間には多くのしがらみや、欲望、悩みといったものがあって、一切の執著をすてることは難しいし、それらがあるから人生はおもしろいという人もいるのです。
静岡県成道寺 伊久美 清智師 著より
「ことばの旅」静岡県成道寺住職伊久美清智師著を参考&編集
「IT坊主の無駄方便」/eお坊さんねっと 説話集より