説話(果報とは)

「果報者」とか、「果報は寝て待て」という言葉があります。さて「果報」とは?
これは、仏教で言う「因縁」と深い繋がりがあります。あらゆるものが成り立つには、必ずそうなるべく要因があり、これを因縁と言います。因とは、ものが成立する直接的原因、縁とは、それを育てるさまざまな条件のことです。例えば、花が咲くには種がなければなりません。それが花の因です。しかし、種があっただけでは花は咲きません。土や水、光や気候、その他さまざま花を咲かせるのにふさわしい条件が整った時に咲くのです。因と縁が実ると、それに合った結果が出ます。その結果のことを果報と言います。
因縁の結果である果報は必ずあらわれますが時期は分かりません。花の場合は時期が決まっていますので知ることができますが人間の行いに関しては色々な条件が絡んでいますので、いつあらわれるか分かりません。思いも寄らないいい結果に恵まれたとしたならば、「運が良かった」と思うことでしょう。まさに果報者です。しかし果報がなかなか自分に来なかったとしたらイライラしますが、焦らないで待ちましょうと言うのが「果報は寝て待て」です。しかし、果報は期待してはいけないのです。日々の行いに励むことが大切です。
念のため一言。「幸運は偶然なものですが、何もしなくても巡り合えると言う考えは仏教の教えにはありません。」。
「IT坊主の無駄方便」/eお坊さんねっと 説話集より
参考:「天台宗法話集より抜粋・編集