説話「邪魔」

邪魔になる。不便である。都合が悪い。不要である。妨げになる。対象は人・物・環境・状態など様々で使い分けが多様にある言葉です。邪(じゃ)には、「正しくないこと。道にはずれていること」、「横の方向であること」などという意味を持つとされています。又この「邪」一文字で「よこしま」とも読みます。語源は「よこさま」で、「横になっているさま(ようす)」を表した言葉です。道の真ん中などで横になっている人がいると困りますから、これは「正しくない」「道理にはずれた」という意味合いで使われるようになったようです。
魔(ま)には、人の心を惑わす悪い者とか仏教上では修行や人が行う善行を妨害する者(悪魔)を指します。
従って「邪魔」とは、「 妨げること。妨げとなるもの。及びそういった様子・状態」という意味になります。
「じゃまくさい」というと「面倒なこと」とか「よろしくない」ということになりますが、「おじゃまします」(訪問する。伺う)などという丁寧な挨拶として使われることもあります。又、一般によく使う言い方に「おじゃま虫」というのがあります。これは状況と間柄(関係)により受け止め方が「びみょー」です。
お釈迦さま(仏教の開祖)には、「魔」を降伏させる降魔力(ごうまりき)があったと言われています。
降魔力には、邪魔者(自分にとって都合の悪いもの)を押さえつけるとか排除するという意味合いがありますが、お釈迦さまのそれは、その本質を見極めることで根底にある欲(執着など)を取り除く(開放させる)力(能力)であったとされています。容易いことではありません。
「IT坊主の無駄方便」/eお坊さんねっと 説話集より