説話(折り合いをつける)

悩みや苦しみを誰かによって無くして欲しいと願うことがあります。これは仏教的考え方から言うと責任転嫁のひとつになります。また、誰かに依存するつもりでなくても「自分の力では解決できない」などと思うことがあったとすると、それには責任転嫁の心が隠れて(潜んで)います。
それならば自我を抑えればいいかということになりますが、これは一見善行為のように思えるかもしれませんが、自我を抑えることは、そのまま他の力に依存することになってしまい、『自己責任』を放棄したことに繋がる場合があります。自我を抑えることは悪いことではないはずなのにと思っても結果、ストレスを生み、病の原因になる場合があります。
逆に「自分一人で何でもできる」「他人は関係ない」と考えればいいのか、しかしこれではあまりにも傲慢で、自我が強く協調性の無い人だというイメージで捉えられます。
このあたりについて、どのように折り合いをつけて社会の中で如何に逞しく生きるか大きな課題です。「折り合いのつけ方」は人それぞれです。
eお坊さんねっと 説話集
参考:「パティパダー巻頭法話」(http://j-theravada.net/howa/index.html):A・スマナサーラ長老より抜粋・編集