説話(若くありたい)

“お若く見えますね。“と言われて喜ぶのは女性だけではありません。若いという言葉は今ではお世辞のひとつになっています。昔は、若く見えるということは恥ずかしいことでした。若造(わかぞう)、若輩(じゃくはい)者といえば、一人前の大人として認められていない言葉でした。ところが今は、化粧品もエステティックも、女性の為だけのものではなくなりました。それというのも、私達の心の底に常に若く見せたい、若く見られたいという願望があるからではないでしょう。
若い、ということは何も年齢に限ったことではありません。健康であり体力もあるということに加えて、考え方における柔軟さというのも若さの条件のひとつです。身体の柔らかさ、発想の柔らかさというものは、若いうちに身につけておきたいものですが、人当たりの柔らかさ、ことば遣いや物腰の柔らかさといったものは、ある程度の歳を重ねてはじめて身につくものです。そう考えてゆくと若さと老いは共存しているのかもしれません。私達のもつ若さへの願望は、裏を返せば老いへの恐れでもあります。言う迄もなく老いは、生・病・死と合わせて四苦と呼ばれています。お釈迦様は、その何れも逃れられないものと説かれました。上辺(うわべ)だけの若さの追求や、度を超した若さへの憧れは返って現実を観る目を曇らせてしまいます。こだわりを捨てて歳相応に過ごすうちに美しさがにじむ事でしょう。
eお坊さんねっと 説話集より
参考:「天台宗法話集より抜粋・編集