説話(除夜の鐘)

年の瀬を迎える頃になると過ぎる年を振り返って、何故か名残惜しい気持ちになります。「これで、今年も過ぎて行くのか」と、感慨(かんがい)に耽(ふけ)ってしまうこともあれば、「新たな年はいい年であるように・・・」と多幸を望む転換区切りの大晦日(おおみそか)の一日ももうすぐです。
その大晦日の一日は、今日の一日と過ぎ行く時は同じなのですが、心の面では、大きなけじめの一日なのです。
今年と来年の狭間(はざま)で人生を思う心にあの「除夜(じょや)の鐘(かね)」は響いてきます。
晦日の深夜から元旦にかけて百八の鐘が撞(つ)かれますが、これは、百八の煩悩を除去して清らかな新年を迎えるためです。
eお坊さんねっと 説話集より
参考:「天台宗法話集より抜粋・編集