説話「金輪際(こんりんざい)」

「もう金輪際ごめんだ」や「金輪際承知しない」などと、強い否定を伴った時に使われる「金輪際」という言葉は、元々は仏教の世界観からきています。仏教宇宙観の体系を示す書物の説によると、
『「宇宙」とは虚空(空中)に「風輪」という丸い筒状の層が浮かんでいて、その上に「水輪」の筒、またその上に同じ太さの「金輪」という筒が乗っていて、「金輪」の上は海で満たされており、その中心に7つの山脈を伴う須弥(しゅみ)山がそびえ立ち、須弥山の東西南北には島(洲)が浮かんでいて、南の方角にある瞻部洲(せんぶしゅう)が我々の住む島と考えます。そして「金輪」の最も下、「水輪」との境目を金輪際といいます。
この境目は地上の島に住むわれわれ人間からすれば、はるかな底であることから、「物事の極限」を意味するようになったのです。』尚、言葉の用いられ方としては、江戸時代の「東海道中膝栗毛(著:十返舎十九著)」に“聞きかけたことは金輪際聞いてしまはねば気がすまぬ”とあり、もともとは打ち消しを伴わない表現がされていました。それが「徹底的に」「どうしても」などの意味から、現在では打ち消しの語を伴って、「決して」「断じて」の意味として用いられるようになったようです。
eお坊さんねっと 説話集より
参考:「天台宗法話集より抜粋・編集