説話「玄 関(げんかん)」

玄妙(奥深くてすぐれた)な道に進み入る関門、即ち仏門への入り口を意味し、転じて寺の書院の入り口を指すようになったものです。寺の書院は、学問をしたり講義を聞いたりする場所ですから、むやみに人を入れるわけはいかないようです。
このように「玄関」は実用的というよりも、むしろ格式的な意味合いのほうが強かったといえます。明治時代以後になって玄関は一般化され、建物正面入口をだいたい玄関と称するようになり、最近ではその格式的な意味はしだいに薄れ、より機能的、合理的な形になってきたようです。
「その家の玄関を見れば、そこの家に住む人の人柄が判る」とよくいわれますが、玄関は家の顔なので、履き物などが整理整頓された家の玄関に立つと、思わずこちらの気持ちがシャンとなってくるものです。
自分の足下を固めることを「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」といいますが、日頃の習慣が大切なようです。
eお坊さんねっと 説話集より
参考:「天台宗法話集より抜粋・編集