説話(五十にして四十九年の非を知る)

文字通りの解釈では「五十歳になってみてそれまでの四十九年には過ちが多かったことに気づく」ということになるでしょうが、本意はそうでもないようです。
勝手解釈では、『人五十歳も過ぎると、あれこれアドバイスをしたり注意をしたりしてくれる御仁が少なくなるものです。また、自分自身を省みなくなって、驕り(おごり)や高ぶりが前面に出ることも多くなるものです。しかし、歳を重ねても更に成長しようとする心意気(意思)は大切なことです。そう思うとなるとそれまでの自分自身を省みてまだまだだと自己を律することも大切です。自身のそれまでの人生を振り返ることも後悔することも反省することも大切ですが、それらを肥やしにして更に成長しようとする気概が大切です。』ということになります。
五十を各自それぞれに、六十、七十、・・と置き換えて自由解釈でよいのでは・・・。
「IT坊主の無駄方便」/eお坊さんねっと 説話集より