説話(世間)

一般的な解釈としては人が集まり生活している場、そこにいる人々、人の住む空間の広がり等々及び、人々との交わり、又その交わりの範囲などといえます。「世間の状況」とか「世間がうるさい」「世間を渡る」などという使われ方があります。「社会」とか「世の中」と概ね同じ意味で使われています。
元々は仏教用語であり大きく二つの意味合いを持っていて、一つは生きものすべてのことを云います。
第二に生きものすべてを住む環境(海、山、川などの自然環境)も含まれます。このように広い意味を持っていました。それが時代の変遷と共に人間の住む世界に限られて使われるようになってきたようです。
人には喜び、怒り、悩み、悲しみなど各種の感情があります。このような事柄も含めて世間と捉え、人の生きる社会を指して居て、具体的に何かは特定できない表現です。
よく「世間をお騒がせして申し訳ありません。」などという謝罪(企業の不祥事や何らかの失態なでで)のニュースを耳にします。具体的に誰に対して謝罪しているのか曖昧でも、一括りでなんとなく謝っているという印象に受け取られて誠に上手い使い方です。世間とは個人と個人の関係の輪であり排除されると生活がしづらくなる、目には見えない不思議な力を持っているようです。そのためには各人は自分の立ち居地(生きて居る環境)をしっかりと理解する必要がありそうです。
「IT坊主の無駄方便」/eお坊さんねっと 説話集より