説話「生命(いのち)」

人間が一つの生命を授かるのは「大海の中に落とした針を探すようなもの」あるいは「山頂から麓の針の穴に糸を通すほど難しいこと」だと喩(たとえ)えられるほどかけがえのないことなのです。しかし子供たちが考えている死への認識は低く、小学生の約15%はゲーム等の仮想的なものとしてリセット(再生)できるものと捉えているとさえ云われています。昭和時代(中盤まで?)の人達は2世代、3世代同居の家庭が普通であって、生活の中から高齢者や弱い人たちを労わる心が育まれて、命に対する尊さや命が無くなることの悲しさ、寂しさを体験することが出来ましたが、近年ではそういった生活スタイルではなくなっています。
家庭の中でも学校教育の中でも、もう少し「生命の教育」をはじめ、人間として生まれた歓び、家族や他人との繋がり、さらには動物も植物も尊い生命を持っていることを、幼少の時から系統たてて、教える必要があります。
「IT坊主の無駄方便」/eお坊さんねっと 説話集より
参考:「天台宗法話集より抜粋・編集