説話(過去)

「過去」も「現在」も「未来」も仏教に語源をもっています。 「過去」はサンスクリット語(古代インドの言語)の「ガタ」の漢訳語で、「行ってしまった(ものごと)」の意。「現在」は「ヴァルタマーナ」の漢訳語で、「いまある(ものごと)」「いま起こりつつある(ものごと)」の意。「未来」は「アナーガタ」の漢訳語で、「まだやって来ていない(ものごと)」の意です。仏教では、「時の流れ」よりも「ものごとの流れ」の方を重視します。時が過去から未来にむかって流れているというのではなく、「いまだやって来ていない」ものごとがやってきて、やがて「行ってしまう」というのです。では、ものごとは、どこにやって来て、どこから行ってしまうのかというと、それは私のところにやって来て私のところから行ってしまうのです。私のところには、どのようなものごとがやって来るのかというと、あちらが勝手気ままに押しかけてくるのではなく、私が選んで招待するのです。つまり、私が今何をするのかで「未来」が決まるのです。
「IT坊主の無駄方便」/eお坊さんねっと 説話集より
参考「仏教から生まれた日常の言葉」(耕雲寺:http://www.kouunji.or.jp/lecture/word26.html)より引用&編集