情報セキュリティ「脆弱性(ぜいじゃくせい)とは?」

脆弱性(ぜいじゃくせい)とは、コンピュータのOSやソフトウェアにおいて、プログラムの不具合や設計上のミスが原因となって発生した情報セキュリティ上の欠陥のことを言います。脆弱性は、セキュリティホールとも呼ばれます。脆弱性が残された状態でコンピュータを利用していると、不正アクセスに利用されたり、ウイルスに感染したりする危険性があります。
脆弱性は完全に対策を施すことが困難であり、次々と新たな脆弱性が発見されているのが現状です。脆弱性が発見されると、多くの場合、ソフトウェアを開発したメーカーが更新プログラムを作成して提供します。通知が来たら、面倒がらずに毎回更新することが大切です。
出典: 総務省『国民のための情報セキュリティサイト』
http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/security/basic/risk/11.html)をもとに編集
マキコーポレーション「公認情報セキュリティマネージャー(CISM)」システムノーティスより

情報セキュリティ(ソフトウェアを最新に保つ)

パソコンやスマートフォンタブレット端末など(コンピュータ)は情報を、内部のソフトウェアが処理することで動いています。ソフトウェアには、オペレーティング・システム(OS)と呼ばれる、コンピュータを動かす基本的なソフトウェアや、ホームページを閲覧する際に使うWebブラウザ、メールを送受信するのに使うメールソフトなど、利用目的に合わせたさまざまな種類のものがあります。こうしたソフトウェアには、時間の経過とともに、脆弱性(ぜいじゃくせい)と呼ばれる不具合が発見されることが多々あります。脆弱性は、プログラムの不具合や設計ミス、環境・状況変化などに起因して起こるものですが、それらが発見されるたびに、それらを修正するための修正プログラムが、メーカーから配布されています。代表的なソフトウェアでは、多くの場合通知があります。通知が来たら、面倒がらずに毎回更新することが大切です。脆弱性を残しておくことは、さまざまな攻撃のきっかけを与えてしまうことになります。
出典: 総務省『国民のための情報セキュリティサイト』
http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/security/enduser/security01/01.html)をもとに編集
マキコーポレーション「公認情報セキュリティマネージャー(CISM)」システムノーティスより

情報セキュリティ(スマートフォンを使うとき周囲の状況に注意!)

歩きながらなど移動しながら(歩きながら、自転車に乗りながら、バイクの運転をしながら、車の運転をしながらなど)スマートフォン等を操作していると、周囲の状況に対して不注意になり、事故・トラブルにつながります。最悪な事故が多発しています。移動しながらの利用は禁止です。
出典: 総務省『国民のための情報セキュリティサイト』
http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/security/enduser/security02/14.html)をもとに編集
マキコーポレーション「公認情報セキュリティマネージャー(CISM)」システムノーティスより

説話(おっくう)

「おっくうな仕事だ」とか「そんなことは、おっくうだ」と使われます。語源は「百千万億劫」の上三文字を省略した「億劫」(おくこう)が元になっているといわれています。
「劫」とは時間を表す単位で、とてつもなく長い時間のことをいい、一劫とは四億三千二百万年という説もあります。つまり「百千万億劫」とは、想像を絶した思考の及ばない数で、気の遠くなるような時間のことです。「面倒くさい」の意味に使われ、たいへん手間がかかり、多くの時間を費やすようなことを表わすのに「億劫(おくこう)なことだ」が「おっくう」になったということです。
この地球上に生物が現われたのが五億年程前、人類が生息を始めたのが二万五千年くらい前だといわれますが、いつになったら全世界が平和で住みやすい世の中になるのでしょうか。それこそ「億劫」も先の話なのかもしれません。
「IT坊主の無駄方便」/eお坊さんねっと 説話集より
参考「仏教から生まれた日常の言葉」(耕雲寺:http://www.kouunji.or.jp/lecture/word30.html)より引用&編集

説話「自未得度先度他」

禅のことばで、“じみとくど せんどた”と読みます。宮沢賢治の「雨ニモマケズ風ニモマケズ」にあるように、へりくだった態度、常にやわらかな心で、自分を勘定に入れないで世のため人のために、自分のことよりもまず相手のことを思いやる心を持っている人、相手の幸福を願わずにはおれないという菩薩のような心を持っている人のことを言い表す表現です。
人を幸せにしたい、自分は後でいいんだ、他人の幸福を願わずにはおれない、これを菩薩の行願といいます。「上は菩提を求め、下は衆生を教化す」とも言われ、利他行に励む人です。
いつも、「俺が俺が」「私が私が」、“自分ファースト”で何が悪いという文化の中ではなかなか生まれない想いです。
「こころと命の相談室」快栄寺(eお坊さんねっと)説話集より
参考:「天台宗法話集より抜粋・編集

説話「悪事」

“悪事(あくじ)”という言葉があります。この言葉一般的には「わるいこと」という意味合いで使われますが、仏教的な意味合いは、「人の嫌がる仕事、手間・暇のかかる仕事など」のことです。
“好事”がその反対で「やりやすい仕事、苦労のいらぬ楽な仕事、誰にでもすぐにできる仕事のこと」です。
従って“悪事(あくじ)”という言葉のそもそもの意味合いは、「やり易い仕事を他の人にまわし、自分は骨の折れる仕事を自ら進んで引き受けてやる心がけを持って他人のことを思いやることが出来る人のことです。」
つまり、相手を喜ばすことの出来る人のことをいい、例えば仏教では「菩薩」を指して言う表現で、「悪事を己に向え 好事を他に与え 己を忘れて 他を利するは 慈悲の極みなり」ということになります。
「こころと命の相談室」快栄寺(eお坊さんねっと)説話集より
参考:「天台宗法話集より抜粋・編集

説話「平常心で生きる」

人間は弱いものです。天気がいいか悪いか、家人の機嫌が良いか悪いか、仕事がうまくいったかどうか、そんな外からの状況や過ぎてしまった結果に影響されて、気持ちが浮いたり沈んだりしてしまいます。みんな自分自身の心のこだわりやとらわれなのに・・。とは言っても、いつも平常心でいることはなかなか難しいことです。気持ちが高ぶりすぎても沈みすぎても人間なのだから仕方ない。失敗しても失敗した自分を許してもう一回頑張ってみる。それでも失敗したら、もう一回自分を許して、もう一回頑張ってみるという、日々を柔軟に生きることができれば日々是好日です。この柔軟に生きることこそ平常心で生きることではないでしょうか。
「怒っても一日、笑っても一日、悲しく過ごしても一日、楽しく過ごしても一日」
「こころと命の相談室」快栄寺(eお坊さんねっと)説話集より
参考:「天台宗法話集より抜粋・編集