菩提寺と檀家制度

日本では江戸時代に、寺請け(てらうけ)制度が敷かれました。これは、島原の乱(1637年〜38年)の後、幕府はキリスト教禁止を強化するため、どの家も仏教のいずれかの宗派に所属させ、寺院の檀家(檀徒)になるようにした制度で菩提寺の始まりです。寺院は、檀信徒に対して教導(仏教動を教え導く)を実施する責務を負わされることとなり、寺院が幕府の統治体制の一翼を担うこととなったのです。本来の目的は、信仰宗教を調べることであったのですが、現在で言う戸籍原簿や租税台帳の管理という側面も持つようになりました。
これにより僧侶を通じた民衆管理が法制化され寺院が事実上幕府の出先機関となり役所化したのです。
この制度が定着して檀家制度(寺院が檀家の葬祭供養を独占的に執り行なうことで結ばれた、寺と檀家の関係)が出来上がったのです。こうしてお寺が獲得した「檀家」に対し、幕府は菩提寺への参拝やお布施を義務づけたため、寺にとって檀家は“顧客”であり、安定した収益基盤でした。やがて、寺院の本来業務であるべき宗教活動がおろそかになり、汚職の温床にもなったのです。
寺請制度は明治初頭まで存続し、1871年(明治4年)に廃止されました。檀家制度は明治維新以降も風習として残っているというのが現実で、「檀家制度」は、他の仏教国には例をみない日本独特のシステムです。
eお坊さんねっと 説話集より