説話(褒められる。評価される)

一般的に人は財産に憧れます。誰もが、財産はあるに越したことはないと思っているはずですが、人を褒めたり評価をする場合、単にお金持ちということに対しては、「ああそうですか」「すごいですね」などの反応になるのが一般的です。要は褒められる中身がどうかです。但しこれは、お金を得るのが悪だという意味合いではありません。お金も知識も、幸せに生きるためには欠かせないものです。得るための活動は励みにも目標にもなります。知恵や知識は自分の身体に付いている貴重な財産です。
しかし、いくらお金で溢れていても知識に満ちていても、法に抵触をしていなくても、道徳的に乱れているならば、社会から非難され時には追い出されることにもなります。
本当に褒められる人とは人格者であるべきです。難しい意味での人格者ということではなく、「信頼できる。利己的ではなく他人に対して寛容である。罪は犯していない。欲を言えば、なんらかの功績があればよりいいかも知れませんが、基本的なところはその人に備わっている道徳的なことが多く評価されるはずです。」
それぐらいの道徳であるならば、誰にでも備わっていますよ。と思う人が多いと思います。
その通りで、仏教的教えでは、「知識や財産は道徳という器のなかに持つものです。その器が破れたら、知識も財産も、跡形もなく毀れてしまいます。」と説いています。
くれぐれも、道徳を犯すことで、資格や立場(地位)を失わないように!!
eお坊さんねっと 説話集
参考:「パティパダー巻頭法話」(http://j-theravada.net/howa/index.html):A・スマナサーラ長老より抜粋・編集