説話(執着する心)

日常において大概のことは、ギブ・アンド・テイクで成り立つ取引と同等ですから節度を守り誠実に行動しなければなりません。
ギブギブには、子が母親に感じるような安堵感があり、受ける者も、与える者も生き生きとします。ギブギブが身についた人はすこぶる元気で、ストレスが溜まりません。
親の死にあたり、これまで受けた慈しみを観じ止め、「何処にあれど幸あらんことを」と願い告別できたら慈悲心となり、悲しみは不思議なものとなります。誰との死別でもこれは同様です。このように執着する心が離れて行くと平等の心に至ります。
仏教では私という実態はなく、炎のように変化する現象に過ぎない有様を教えていて、通常感覚は見かけにしかならないとしています。
無我である実感を中々持てませんが、己を一時的にせよ忘れられたら、しがらみから解放され我が消え去るかも。無我を感じると、慈しみのパワーを遺憾なく発揮できるかもしれません。
eお坊さんねっと 説話集より
参考:「天台宗法話集より抜粋・編集