日本語あれこれ(引導を渡す)

「いんどうをわたす」と読みます。
そもそも「引導」とは、「人に対して仏法を説いて教え導き、心の迷いを覚まさせる」という手段のことを云う仏教用語でした。それがやがて葬儀の際に僧侶が、亡くなられた方が迷うことなく悟りの道へ向かえる(導く)ように唱える経文や法語(仏教の教えなど所作(行為)のことを言い表すようになりました。
又「引導」には、「手引きする」「案内する」という意味もあり諸説ある解釈などから亡くなられた方へ「引導を渡す」は、最期に贈る言葉とされています。
この言葉、これら意味合いを込めて一般的にも使われるようになりました。例えば、「今後一切の面倒をみない」などということを理解させるために「最終的な宣告をして諦めさせる」場合や、「もう後は無く退路は立たれ状態を相手に観念させる」ときなどにも使われるようにもなりました。
このように「息の根を止める」とか「最後通牒を突きつけて観念させる」場合などに使われる、極めて強い意思表示の言葉です。
現代で云えば、サラリーマンにとっての“肩たたき”は痛烈な「引導」です。
IT坊主のひとりごと「IT坊主の無駄方便」集より