説話(聞いて極楽、見て地獄)

人それぞれの捉え方や感じ方があるでしょうが一般的な捉え方として、「極楽」とは、 安楽でなんの心配もない状態や境遇、又そういう場所を云います。一方「地獄」は、非常な苦しみをもたらす状態とか境遇のたとえや場所を指して云います。
この言葉は当初聞いていたのと自分が見たのでは大きく違う、極楽のようなすばらしいところだと聞いていたのに実際には地獄のようなひどいところだった、ということを表現するときに使われます。
最近良く耳にすることの例示としては、「立派な企業だと聞いていたが入社してみると大違いのブラック企業であった」などの事柄が当てはまるのでは?
これ等の表現、仏教の教えの中で使われ始めたのが始まりで、極楽は、極楽浄土、極めて安楽な場所や環境を指し、地獄は、現世で悪行をしたものが落ち苦報を受けるという所とされており、仏教での想像上の世界、及び苦しみ悩む精神状態を指します。
しかしながらここで云う(仏教上の)極楽浄土や地獄と称されるところに行って帰ってきた人にお目にかかったことはありませんので、例えとして表現する感覚的、精神的状態を表現した言葉になります。
誰も地獄のような状態や感覚にはなりたくないものです。生ある現在を、極楽にするか地獄と思うかは自分次第でしょう。
「IT坊主の無駄方便」/eお坊さんねっと 説話集より