説話(退屈)

“退屈”とは、「・することがなくて時間をもてあますこと。・ 飽き飽きして嫌けがさすこと。・困難にぶつかってしりごみすること。などなど」という状態を表すことばとして使われます。
そもそもこの“退屈”という状態とは仏教用語で、修行の厳しさに負けて気持ちが後退し精進の気力を無くし且つ、気力も衰え屈する状態を言い表したものだったのですが、やがて疲れて嫌になり何もしなくなって暇を持て余した挙句つまらなくなり、ついには時間を持て余すことを指すように変化したものです。つまり退屈の元来の意味合いは、『やることがなくて暇なのではなく、成し遂げる修行の内容が重く、厳しさに耐えられなくて退き、屈すること』なのです。退屈は人(自分自身)の気持ち(気力)が作り出した状態です。
見る局面を変えれば退屈という状態は本人に自覚があるか否かに関わらず、現状を「よし」としていなくて、新たな(斬新なこと、現状打破)活動や行為を期待していることを発しているシグナルと捉えるべきで、創造性を活性化させてくれるトリガー(きっかけ)となるものです。いつも忙しくて時間がないということは、いつも余裕をもって考えることができていないということです。
退屈な時間は心身を活性化させてくれます。退屈を有効な時間に置き換えて活用しましょう。
「IT坊主の無駄方便」/eお坊さんねっと 説話集より