説話(降伏)

戦に負けたり、やっつけられて「こうさん」するという意味で使われている「降伏」という言葉があります。一般には「こうふく」と読み相手方に降参することですが、仏教用語では「ごうぶく」と読んで、修行の妨げとなる人間の本能ともいうべき欲望、迷いを「おしふせる」ことを意味しました。
お釈迦様がインド・ブッタガヤにおいて菩提樹の下で坐禅を組んで静かに瞑想をしていると、さまざまな悪魔が現れ脅迫や誘惑をして修行を妨げましたが、お釈迦様は降魔(ごうま=悪魔を降伏させること)を念じて、悪魔を退散させ、悟りを開かれたという話があります。
自己の心の中にあるさまざまな煩悩の葛藤を悪魔にたとえたもので、煩悩を降伏することによって、悟りに到達したとされています。降伏すべき対象は外にあるのではなく人の内面にあるのです。
「恨みは恨みによってやむことはない。恨みを捨ててこそやむのである」と、各種経典で解説されていますが、これは降伏すべきものを外側に向かって追い求めている限り、人は永遠にその目的を遂げることはできないという戒めです。
「ことばの旅」静岡県成道寺住職伊久美清智師著を参考&編集
「IT坊主の無駄方便」/eお坊さんねっと 説話集より