説話(他生の縁)

「袖すりあうも他生の縁」は、よく耳にすることわざです。
袖がほんの少しふれ合っただけでも、浅はかならぬ縁があるからだということです。お互いにこの世に生きあわせたことさえ不思議なご縁なのに、道で出会う人々の衣服がふれ合うことも、何かの縁あればこそといえます。「他生」を「多少」と解釈している人もいますが、ほんの少しばかりの縁となって意味が違ってきます。また、「多少の縁」としている辞書もあります。「多生」とは、「多くの生を経る間に結ばれた因縁」として、この世の生き物はいくたびも生まれ変わってさまざまな生を受けている。過去、現在、未来にわたる無数の生存の一つ一つにおいて縁があること。その期間ずっと縁が絶えることなくあり続けることで、我々は縁によって存在しているのだということです。「他生」は現在以外の、過去か未来の世の中をいうのですが、ここでは前世を意味します。お互いに前世の縁があったからこそ、この世に生まれ合い、めぐり合えたのだと考えるのです。友人、夫婦、親子、隣人など全て、縁でないものはありません。
「ことばの旅」静岡県成道寺住職伊久美清智師著を参考&編集
「IT坊主の無駄方便」/eお坊さんねっと 説話集より