説話(“しょっちゅう”)

「あの子は“しょっちゅう”、ゲームばかりやっている」「あの人は“しょっちゅう”、遅刻している」などと、「いつも、常に、終始」というときに「“しょっちゅう”」という言葉を使います。
実はこの言葉の語源は仏教語なのです。
お釈迦さまが弟子たちを集めて説法を行ったときのことです。彼らを前にして『弟子たちよ、汝らは世の束縛を脱して心の自由を体得した。これからは世の人々の利益と幸福のために、諸国を遍歴せよ。但し二人して一つの道を行くな』と宣言されました。
そして更に続けて『初め善く、中ごろも善く、終わりも善く、道理と表現を兼ね具えた法を説け』と諭しました。この言葉から、『初善、中善、後善なり』という表現が出来上がり、やがて『初中終(しょちゅうじゅう)』となり、訛って『“しょっちゅう”』と変化したようです。
この言葉は、善いことに使ってもらいたいものです。
「IT坊主の無駄方便」/eお坊さんねっと 説話集より
参考「楽しい仏教用語」(http://www.terakoya.com/yougo/b_yougo.html)より引用&編集