説話(意外)

意外なことが起きた時に「意表をつかれた」という表現をします。
仏教には「業」(ごう)という考えがあり、行為を意味します。行為には、身体の行為と口の行為(話すこと)及び意の行為(心の働き)の三つがあります。これを身口意(しんくい)の三業といいます。これは行為を行った本人に結果をもたらすと考えられています。つまり、自分でまいた種の結果は自分で刈り取るということです。ただ結果が出てくるには時間 がかかるのが普通ですが、行為というものは、その場ですぐに消え去るのではなく、何らかの目に見えない形で行為を行った本人についてまわるとされています。
又、目に見える行為のことを「表業」(ひょうごう)といい、そうでない行為のことを「無表業」といいます。表業は単に「表」と略されることがあるので、意表業は「意表」となります。ただし、意のはたらきは身と口で表されるものであって、意には表業というものはないことになります。意表とは「心のはたらき」という意味合いであるといっていいでしょう。「意表をつかれる」という表現は「思っているところに衝撃があたえられる」ことです。「意」の「外」ですから「意外」です
「IT坊主の無駄方便」/eお坊さんねっと 説話集より
参考「仏教から生まれた日常の言葉」(耕雲寺:http://www.kouunji.or.jp/lecture/word10.html)より引用&編集